2018年2月28日に、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ 新経営体制に関する記者会見を実施いたしました。
木村正明 代表取締役(以下、木村代表)
この度、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブの代表取締役を辞任し、公益社団法人日本プロサッカーリーグ専務理事に就任させていただくこととなった。これまでの12年間に心より感謝申し上げたい。うまく話せない場面もあるかもしれないが、皆さまの質問には誠実にお答え申し上げたい。
鈴木徳彦 取締役ゼネラルマネージャー(以下、鈴木取締役)
このクラブにお世話になって3年ちょっとになる。来て、いいクラブで素晴らしいクラブだと感じている。それが何かと申しあげると、強いとか弱いとか、J1かJ2かということではなく、あるいは経営規模が大きいとか小さいとは別に、きちんとクラブが地域の皆さまから支えていただいている状況があって、クラブに集う皆が自分たちの夢を持って、毎日生き生きハツラツと取り組んでいることで、個人の目標が達成することがファジアーノ岡山という組織の目標達成につながるような仕組みがきちんと出来上がっていることが素晴らしいと思っている。木村さんをはじめ、創設からしっかりとした理念のもと、ブレずに歩み続けてきた結果だと感じている。私自身、経営に詳しいわけでも経験があるわけでもないので、まずやるべきだと思っているのは、こういう素晴らしい状況を続けていくことを第一に考えないといけない。フットボールに関して言うと、GMとしてJ1昇格もそうだし、今年は特に「アカデミーリフォーム」という単語をクラブでは使っているが、何とかクラブの育成や普及という組織が、あるいはもう少し言うと岡山のサッカーレベルが日本の中でも有数のレベルに達するためにどういうことをやっていかないといけないかを洗い出して進めていきたいと思っている。フットボールを通じて、岡山が、岡山の街の皆さんが、少しでも活気づいていく状況にしていきたいと思っている。
北川真也 取締役(以下、北川取締役)
突然のことで不安と、本当に引き受けていいのか、かなり悩んだが、やると決めたからにはやり切りたい。まだまだ至らない点が多いので、皆さまにお支えいただいて助けていただきたい。ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。
森健太郎 取締役(以下、森取締役)
12年前にNPO法人から株式会社に移行する段階において、幼馴染だった木村代表に突然声をかけて、東京の華々しい場所から岡山に戻ってきて身を粉にして活躍してくれてファジアーノの地位を築いてくれた。この働きぶりを村井チェアマンも高評価をされて、今回の専務理事の抜擢となったと考えている。我々としては彼がいなくなることで不安もあるが、未来永劫というわけではなく、期限のある仕事で、中央で活躍されるということで、私としては彼が抜ける間の留守を守りたいし、留守の間でもJ1を狙ってしっかりと良いチームになっていけるように、社外からではあるが取り組んでまいりたい。
先ほど鈴木取締役からもあったが、アカデミーの再構築をしているところで、我々学芸館高校としてはU-18の選手3学年をお預かりしている立場なので、そこはより一層力を入れて一年も早く岡山から世界で活躍できる選手を育てていけるように尽力していきたい。
Q木村代表へ:専務理事の就任に至るまで、いつ打診があり、いつ決断されたのか。
木村代表:Jリーグ内の人事のことなので、どこまでお伝えすべきかわからないが、村井チェアマンの続投が正式に決まった直後で、正確には覚えておらず2月の上旬だったと思うが、村井チェアマンに話があると部屋に呼ばれて、その場で直球で言われた。今、Jリーグは54クラブあり、最高決議決定機関である理事会は54クラブから7名のクラブ理事、社外から7名の理事に、チェアマンを加えた15名体制だが、私も村井チェアマンが着任されてから4年間クラブ理事を務めさせていただいており、専務理事が1年間空白であること、常務理事が半年間空白であることに心配はしていた。ただチェアマンの任期が2年改選なので、任期が残りわずかな中、自分が任命してすぐ去るのも後任に迷惑をかけるのではないかと、村井チェアマンに直接聞いたわけではないが、その苦悩を感じていたので、お話が来てしまったらYESでもNOでもとにかく答えを急がないといけないと思い、「明日の昼まで時間をください」と最初に言った。Jリーグはプロ野球と異なり、中央集権的体制でJリーグからいただける配分金は言っていいかわからないが、ユニフォームスポンサーの総額をしのぐ金額なのでJリーグが事実上の親会社であって、リーグ全体としていろいろなことに取り組んでいる中で、お話が来たら断れないことはわかっていて、村井チェアマンの迫力と事実上のNOはないことがわかってはいたものの、あまりに唐突で気持ちの整理がつかない状態で、翌日に電話をして「もう少しお時間をください」と申し上げた。そのあとにチェアマンに面会の時間をいただき、受諾させていただいた。
引っかかったのは、理事としてリーグ規約の内容は頭に入っていたが、Jリーグの場合、ほかのスポーツ団体と異なって三役に入るということは、現役のクラブ代表は中立性を保つために降りなくてはならず、さらに筆頭株主もおりなくてはならないなど、諸々のことからクラブを離れなくてはならないと自分の中で整理がつけられなかった。
Q木村代表へ:クラブを離れる率直な気持ちと、Jリーグの仕事への意気込みは?
木村代表:森健太郎(現 株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ取締役)から2006年3月の終わりに話をいただいたときに、自分自身、野球をやっていて、通った中学校に野球部が無かったので無理やり始めたサッカーで、その一方で野球はシニアリーグで続けていたが、時間的な問題もあってサッカーに集中することにして、中学には監督がいたが、進んだ高校には監督がおらず、全く指導者がいない状態だった。あとでわかったのだが、岡山県で生まれ育った子どもたちは自分が進んだ学校に自分の好きな部活が無い、あるいは進んだ部活に専門の先生がいないという状況が他県に比べて顕著であることを知った。それは自分自身、東京や海外に住んで部活で補えないことは地域で補う姿をみて、自分は不公平であることが嫌なタイプなので、岡山で生まれ育った子どもたちは等しく好きなスポーツが学べるような指導ができる体制を作ることにわが身を投じることは意味があると思い、就任させていただいた。実際にその時に5人の役員で何度も合宿を重ねて、3年でJリーグ入り、7年で活動拠点、10年で平均入場者数1万人、15年でサッカー専用スタジアム、20年ですべてのスポーツのスクール、30年ですべてのスポーツスクールの無料化、この活動方針に基づいた「子どもたちに夢を!」という理念のもと、一日も休まず、一日も緩まず、働いてきた。この街に立派なクラブを作り尊敬される岡山を作っていくという理念にはせ参じてくださった方がたくさんいらっしゃって、ただそれに関しては一朝一夕にできるものではなく、時間がかかるものだと思っている。今回自分が12年引き受けて思ったのは、まずJリーグ54クラブのクラブ代表で8割の方が2年で退任される。9割5分に近い方が3年で退任され、気が付けば12年も務めている私は一番長くなっていた。かつ、私は株式会社の創業者でもあり筆頭株主でもある。そしてCEO(経営者)の3つなのだが、このクラブの成長を考えた時に自分がいつまでも経営者であることが正しいのかということを7年目くらいから自問自答するようになり、どこかのタイミングで経営者からは一旦引くことを考えていた。経営は後継者に任せ、長期的にコミットが必要な部分、スタジアムかもしれないし、より強い財務基盤の確立のために将来クラブにスポンサーできる ような会社を設立することかもしれないし、理念遂行のための幼児教育かもしれないし、違う立場で自分が関わっていくことをずっと考えていた。タイミング的には代表取締役から会長、またはオーナーに退くタイミングというのは、今年の末くらいで一旦は考えていたが、自分が代表を降りてすぐの体制に関しては相当前から考えていて、自信をもって今回の体制は継続性があるといえる。今シーズンに関しては、個人的にはなるが期するものがあって、16名の選手が加入し、徳島戦のたった1試合ではあるが、非常に期待の持てる内容で、長澤監督、コーチ、選手たちはやってくださった。今年にかける思い、チャレンジ1にかける思いがあったので、昨年の大みそかも今年の元旦もクラブハウスにいて、こんな計画をしようとずっと考えていて、気合に満ちて今年を集大成にする心づもりだったので、話をいただいたときは驚きというか、動揺が大きかったので、本音を言うと1年待っていただきたかったが、複雑な思い。
東京の御茶ノ水にJFAハウスという建物があり、そこに日本プロサッカーリーグと日本サッカー協会が同じ屋根の下で、働いている人は合計で500名くらいいらっしゃる。岡山に戻ってきた理由の1つが百年構想の実現、即ちサッカーだけでなく全てのスポーツで、幸せに、がある。サッカーくじもサッカー界にはほとんど来ず、新しく体育館とか、オリンピック強化などサッカーくじからほとんど回っていて素晴らしいシステム。自分は高校野球が大好きだが、高野連は10人くらいしか職員がいないと聞いているが、サッカーは500名くらいいて、きちんと組織を作っていて、計画的に長期的な視野に基づいて運営・経営をされていらっしゃると一定の尊敬の念を抱いていた。ただ中で働いたことがないので、何ができるかわからないし、専務理事として何ができるかわからないが、ただお国のため、日本サッカー界のために頑張らせていただく覚悟は、今持っている。
Q:これまでの木村代表の役割は、新しい体制でどのような役割になるのか。
木村代表:日本の会社法においては、株主が、経営者いわゆる取締役を選任する。取締役に関しては、これまでは社内が私と鈴木、社外取締役として、森と今日は不在の吉田がいた。今回新たに、北川と、私の大学の先輩でもある竹内に常務取締役として入ってもらった。会社の意思決定の中で最も重要な部分に対し、誰が責任を持つのか。まずそこから決めていかねばならず、それは鈴木とし、社内では唯一代表権を持ってもらう。人・もの・金の一番大事なところの意思決定者は鈴木になる。ただ鈴木はチームを統括する立場なので、チームを離れることはできない。アカデミーも8チームあり、鈴木はアカデミーの総合的な意思決定者でもある。今まで私がしていたのは、会社としての最終意思決定、および外回り。すなわちステークホルダーや地域の方々を訪問したり、そういったことは時間的に難しいので、取締役社長ということで社長は通称ではあるが、社外に対して責任を持つということで社長とつけさせていただき、代表権はないが社内的にはナンバー2の位置づけということで北川を取締役社長にした。鈴木はクラブの予算の中で最も大きな予算である強化育成費を、もっというとチーム人件費を司る立場なので、彼が社内で唯一の決定権を持ち、その予算を決める決定権をもつことは、鈴木に関しては人格上抜群で暴走することはないが、ガバナンス上、もしチームの予算を大きく使って赤字が出たりすれば、赤字が出ることは決して悪くないが、そのような歯止めが利かなくなるリスクは外形上はある。そこをチェックする意味で、本業はあるが森と吉田に代表権の順番をつけずに、多数決でクラブの大きな重要な意思決定である予算確定、人事を決定してもらう形にした。1年前から準備ができていたわけではないので、この1年はこのような形で進んでいただき、今シーズンの終わりに新たに考えていただきたいと思っている。
Q:今の話を受けて、鈴木取締役、北川取締役の意気込みは?
鈴木取締役:私たちにとっても突然のことで、先ほど申し上げた通り、今まで築き上げてきたものを継続させ続けることを第一に考えているし、クラブ内でみんなに話したのは、急に代表になったからと言って私自身が変われるわけではないと。今までと変わらないと思うし、できることはクラブの皆さんが思いっきり力を発揮できる場をどういう風に設定するかだけだと思っている。
北川取締役:今まで木村代表が12年間築き上げてきたものに、新たに積み上げていくだけだと思っている。100年続くクラブの土台作りの時期だと思っているので、そこを一歩一歩、継続性をもってやっていく。
木村代表:先ほど言い忘れたが、私自身は監督や選手の人事に関わったことは一度もないが、長く在籍している選手もいたので、現場の士気を一番大事にしなくてはならないので、選手、監督、現場のスタッフに信頼の厚い鈴木に代表になっていただくことはプロスポーツクラブにおいては正しい人事だと思っている。
Q北川取締役へ:木村代表から学んだことは?
北川取締役:一番厳しく指導していただいたと思う。今回お話を受けるにあたっても逃げるなと言われている。逃げずにやっていきたい。我々は敵を作らずとやってきたので、私自身もそこは引き継いでいきたいと思っている。
Q(木村代表へ):サポーターに一言お願いします。
木村代表:クラブはこの後も大丈夫。自分は不祥事や成績不振でいつ退任するかわからず、常に自分が抜けても大丈夫なように組織を作ってきた。できれば今まで以上のご声援、ご支援をくださればうれしい。私は必ず岡山に戻ってくる。J1の舞台で、満員のスタジアムで盛り上がっている岡山に戻ってきたい。これは願わくば、お一人お一人の力で作り上げていただきたい。
Q(鈴木代表へ):代表になって今年中の明確な目標は?
鈴木代表:代表になるとか、ならないではなく、ここに3年前にお世話になった時からこのクラブでやるべきことは、J1に上がること。日本のサッカー界の中で大事なことは、J1のトップクラブが世界と戦えるチームになっていくことも大事だと思うし、まだ岡山のようにJ1の経験を踏んでいないクラブがJ1の舞台に出ていくこと、この二つは大事だと思っている。まずはトップチームのJ1昇格は、大切だと認識している。それから、それを実現するためにはトップチームだけでは成しえないと思っていて、その地域のサッカー熱とかサッカーのレベルなど、サッカーを取り巻くいろいろなものが向上していかないと最終的にはトップに繋がっていかないので、まずは我々のアカデミーがしっかりと機能していくこと、もっというと岡山県のサッカーレベル、あるいは中国地方のサッカーレベルが上がっていくことが最終的にはトップチームの力が上がっていくことに影響される。これらは代表になったからというわけではなく、3年間ずっとやってきている。これは急に何かできるということではない。毎年少しずつでもいろいろなことを考えながら来ているので、それを継続するだけ。
Q(木村代表へ):これまでのファジアーノとの人生で最も思い出に残っていることは?
木村代表:一番は地域リーグ決勝大会で、JFLに昇格できたとき。今はJ3もでき、JFL昇格の制度が変わったが、あの時の制度であれば、あの年に上がっていなければ、翌年は持ったかもしれないが、クラブは無くなっていたと思う。本当に背水の一年で苦しかったし、昇格の瞬間は役員5人で抱き合い、嗚咽した。人間って嗚咽するんだと驚いたが、それほどきつかった。クラブがどうなるかわからない不安と向き合う日々だった。あのときの難しさは一発勝負ということで、そこで負けたらそこまで全勝であっても何も残らないこと。JFLに入ればリーグ戦での戦いになる。予算に対し結果が予想できるため、経営を安定軌道に乗せることができるし、Jリーグに昇格すれば配分金に守られる。 地域リーグから昇格できずクラブを潰してしまったら、岡山に帰ってこれないような申し訳ないことになると思っていたので、2006 年と2007年は苦しかった
Q(木村代表へ):ファジアーノをどのように見守る?
木村代表:これまで12年間、全試合現地で観ていたので、想像がつかない。今も泣きそうだが、徳島戦も泣きっぱなしだった。これからは中立な立場で、ネクタイの色もどうしようかと(笑)。想像はつかないが、自分自身に言い聞かせているのは、離れている間に中央に行って、そして例えばDAZNの担当になってロンドンに行くこともあるかもしれないし、放映権もオープンになるので、アジア諸国もたくさん回るだろうし、東京オリンピックもあって色々な方とお会いすると思うし、人脈や経験、知見などそれをすべて岡山に還元できるし、私が40代で外に出て経験を積ませていただき、そのあと岡山に還元することは、100年続くクラブの歴史の中でファジアーノのためになると自分に言い聞かせている。ただ、こっそりDAZNで観るのはファジアーノの試合になると思う(笑)。
Q(森取締役へ):木村さんと共に歩んできて、木村さんでなければできなかったことは?ご自身も長く支えてこられて、これからの新体制へのお気持ちは?
森取締役:今だから言えるが、当時の年齢は、今の北川よりも若いときに立ち上げた。そのことを考えると、あの年齢でこの事業に関わらせていただいて幸せなこともたくさんあったが、振り返ると木村でなければすべてできなかったのではないかと思う。当時の我々の仲間の中で、経営や財務の経験や、中央のつながりという意味でもまるで何もなかった。諸先輩方がNPO法人を支えてくださって、サッカー界については人脈も知識もあったが、こと経営に関すると私も学校経営の駆け出しで、ひるがえって木村でなければすべてできなかったし、よく戻ってきてくれたなと。当時は戻ってくるか半信半疑で、彼がやらなければ、私がやらなければならないなと思っていたくらい。
これから先は、広島のカープやサンフレッチェなど予算が少ない市民球団でありながら、育成に力を注がれて、その中から世界的プレーヤーを輩出されていて、目指すべきはそういう育成型で、岡山でなければできない強靭な育成組織を作りたい。技術面だけでなく子どもたちのスピリットの部分も同時に育てないといけない。そこは10年かけてしっかりとしたアカデミー組織を作っていきたい。
Q(木村代表へ):12年間でいろんなことをされてきたと思うが、一番大切にしてきたことと、これからの夢は?
木村代表:一番大切にしてきたことは、表現は悪いかもしれないが、サッカーバカではなく、岡山バカであること。フットボールは大事だが、岡山のためにというのをスポーツは体現できる。勝ち負けで一喜一憂して、勝つと嬉しいし、そういう応援できるチームがあることが嬉しいし、今になってハッとこの原点に気づかされた。「そういう日常が岡山にあることが必要」と岡山の外に出て強く感じたので、プロスポーツなんていらないと思う方もいるだろうが、あった方がより 良い人生になっていくのではないか、という信念がある。エンターテインメントの中でも、スポーツは勝ち負けがある。岡山の方は、自分も含め、自分の街にプライドを持っていると思う。それを発揮する場所というのがスポーツ。ファジアーノを通じてこのプライドを発揮したかった。もちろんそのためには強さや熱さが必要だと思うし、時間はかかる。経営の最前線はいつか退くつもりだったと先ほど話たが、吉田、森の社外役員に加えて、ここにはいないが、小川さん、池上の3人でやってきて、僕らは狂気の5人だったと思う。最初はプロスポーツチームを立ち上げることは大変なことがあった。全員無報酬でやってきた。森、吉田、自分も、今もそう。初期の頃は色んな事があって、僕らの本気度を示すには悔しいがそうするしか無かったし、苦しいときも岡山のためと自分たちに言い聞かせてきた。 ただ、いつまでもこういう状態は良くないと思っていた。
夢は、エゴかもしれないが「岡山すげぇな」といわれることが夢というか。すごくつらくて何でこんなことをやっているのかと思った時も立ち返れる。本当にオリンピックに出るような選手が生まれるとか、そういったことでもいいかもしれないし、2003年の11月23日に横になってテレビを見ていた時に、新潟が満員のスタジアムでJ1昇格した瞬間を見て4万人が抱き合って喜んでいて、「すごいな、これ」と思った。新潟と岡山は人口が一緒なので、新潟でできることは岡山でもやれないことはないと思う。できれば「岡山、すげぇな」ということを皆さんと実現できたらいいなと。最後に、この場を借りて申し訳ないが、森と吉田はずっと僕を支えてくれた。感謝を申し上げたい。
Q(木村代表へ):岡山に帰ってくるビジョンは?
木村代表:経営は現場の皆さんがしっかりやってくれると思うしやらないといけないので、その時点でファジアーノが最も弱いところをサポートしたい。それは財務基盤なのか、フットボールスタジアムなのか、育成なのか、その時にならないとわからないが、いずれにせよクラブは1人の力では何もできず力が合わさって強く育っていくので、自分が戻ってくるタイミングで判断してサポートしたい。
Q(木村代表へ):木村代表にとって、ファジアーノとはどのような存在か?
木村代表:…人生そのもの。「育て上げなきゃいけないもの」という意識だったが、今考えると人生だなと。
※なお、4月1日愛媛FC戦の際に、現代表の木村から皆さまへ、ご挨拶をさせていただく予定でございます。